top of page

“カカオごと”という名前に込めた、新しいチョコレートのかたち



「チョコレートは甘いもの」

そんなふうに思っていた方も多いのではないでしょうか。


かつての私自身も、そうでした。

けれど、素材としてのカカオに触れ、

そして“茶事”という日本のもてなし文化と重ね合わせる中で、

その概念が少しずつほどけていったのです。


“カカオごと”という名前には、

「カカオと茶事の融合体験」という明確な意図があります。



カカオもお茶も、単なる“飲食”のためにあるものではありません。

カカオは、古代より儀式や薬として用いられ、人の営みと深く結びついてきた植物です。

お茶もまた、日本では精神性を育み、人と人とをつなぐ道具として発展してきました。


どちらも、心を整え、豊かにする力がある文化です。

そして、季節や空間、人との間合いを大切にする“茶事の精神”は、

現代においてカカオと出会うひとときを、より深い体験へと導いてくれます。


私は、カカオをただ「食べる」もの、「甘いお菓子」として扱いたくありませんでした。



現在のチョコレートのイメージは、

砂糖やミルクを多く含み、“嗜好品”としての側面ばかりが語られがちです。

それはカカオが本来もつ力――

植物としての生命力、香り、味わいの奥行き、心身への作用を、

どこか覆い隠してしまっているように感じていました。


さらには、2023年以降の「カカオショック」などが示すように、

カカオを取り巻く現代の状況は、生産地にも消費地にも新たな問いを投げかけています。



だからこそ私は、

“日本人としての視点”でカカオに向き合い、

新しいアプローチを提案したいと考えるようになりました。


四季を感じ、器を選び、空間を整え、香りと向き合う。

そんな茶事のような在り方で、カカオを体験する時間。


“カカオごと”は、そのような「心をひらくカカオの時間」を届ける場であり、

暮らしに寄り添う、カカオの再発見の入り口でもありたいと思っています。


甘さだけではない、

お菓子だけでもない、

そして、日常から離れた特別な“何か”でもない。


カカオとともに、自分と対話するような、

丁寧な時間と場を育てていくこと。


それが「カカオごと」に込めた、私の想いです。


そして、もうひとつ、触れておきたいことがあります。

それは、「カカオショック」と呼ばれる現象についてです。


2023年以降、世界中でカカオ豆の価格が高騰し、

市場や産地に大きな影響が出ています。

背景には、気候変動や労働環境の問題、過剰な需要と偏った流通構造など、

複雑に絡み合うさまざまな課題があります。

カカオ価格高騰


けれどこの現実は、決して遠い国のことではありません。


私たちが「どんなチョコレートを選ぶか」「どんな食の時間を過ごすか」は、

間接的にでも、産地の未来や、つくり手の姿勢を支える行為になるのです。


選ぶ、ということは、暮らしの中でできる小さな意思表示です。


甘さではなく“静けさ”を、

装飾よりも“本質”を、

表面的な満足より、“内側に届く体験”を。


“カカオごと”は、そんな選択肢のひとつとして、

丁寧に、まっすぐに存在していきたいと思っています。



Comments


bottom of page