“カカオごと”という名前に込めた、新しいチョコレートのかたち
- YUKARI NAKANO
- 4月13日
- 読了時間: 3分

「チョコレートは甘いもの」
そんなふうに思っていた方も多いのではないでしょうか。
かつての私自身も、そうでした。
けれど、素材としてのカカオに触れ、
そして“茶事”という日本のもてなし文化と重ね合わせる中で、
その概念が少しずつほどけていったのです。
“カカオごと”という名前には、
「カカオと茶事の融合体験」という明確な意図があります。

カカオもお茶も、単なる“飲食”のためにあるものではありません。
カカオは、古代より儀式や薬として用いられ、人の営みと深く結びついてきた植物です。
お茶もまた、日本では精神性を育み、人と人とをつなぐ道具として発展してきました。
どちらも、心を整え、豊かにする力がある文化です。
そして、季節や空間、人との間合いを大切にする“茶事の精神”は、
現代においてカカオと出会うひとときを、より深い体験へと導いてくれます。
私は、カカオをただ「食べる」もの、「甘いお菓子」として扱いたくありませんでした。

現在のチョコレートのイメージは、
砂糖やミルクを多く含み、“嗜好品”としての側面ばかりが語られがちです。
それはカカオが本来もつ力――
植物としての生命力、香り、味わいの奥行き、心身への作用を、
どこか覆い隠してしまっているように感じていました。
さらには、2023年以降の「カカオショック」などが示すように、
カカオを取り巻く現代の状況は、生産地にも消費地にも新たな問いを投げかけています。

だからこそ私は、
“日本人としての視点”でカカオに向き合い、
新しいアプローチを提案したいと考えるようになりました。
四季を感じ、器を選び、空間を整え、香りと向き合う。
そんな茶事のような在り方で、カカオを体験する時間。
“カカオごと”は、そのような「心をひらくカカオの時間」を届ける場であり、
暮らしに寄り添う、カカオの再発見の入り口でもありたいと思っています。
甘さだけではない、
お菓子だけでもない、
そして、日常から離れた特別な“何か”でもない。
カカオとともに、自分と対話するような、
丁寧な時間と場を育てていくこと。
それが「カカオごと」に込めた、私の想いです。
そして、もうひとつ、触れておきたいことがあります。
それは、「カカオショック」と呼ばれる現象についてです。
2023年以降、世界中でカカオ豆の価格が高騰し、
市場や産地に大きな影響が出ています。
背景には、気候変動や労働環境の問題、過剰な需要と偏った流通構造など、
複雑に絡み合うさまざまな課題があります。
カカオ価格高騰
けれどこの現実は、決して遠い国のことではありません。
私たちが「どんなチョコレートを選ぶか」「どんな食の時間を過ごすか」は、
間接的にでも、産地の未来や、つくり手の姿勢を支える行為になるのです。
選ぶ、ということは、暮らしの中でできる小さな意思表示です。
甘さではなく“静けさ”を、
装飾よりも“本質”を、
表面的な満足より、“内側に届く体験”を。
“カカオごと”は、そんな選択肢のひとつとして、
丁寧に、まっすぐに存在していきたいと思っています。

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