カカオと、静かに向き合うということ
- 3月31日
- 読了時間: 4分

チョコレートを口にしたとき、なぜかほっとしたことはありませんか。
あの感覚の正体が、ずっと気になっていました。
チョコレートが好きになったのは、ベルギーに住んでいた頃でした。
本場のチョコレートの美味しさに触れ、 これまで知っていたものとはまったく違うと感じたのを覚えています。
ただその時はまだ、チョコレートが「カカオからできている」ということを、 深くは理解していませんでした。

転機になったのは、2014年に飲んだ一杯のドリンクでした。
カカオと砂糖だけで作られた、シンプルなもの。 濃厚で、まるでエスプレッソのような力強さがあり、 口にした瞬間、驚きました。
こんなものがあるのか、と。
その日から、チョコレートではなく、 素材としての「カカオ」に、興味を持つようになりました。
カカオを知るほどに、その奥深さに引き込まれていきました。
産地によって香りが異なり、 発酵や焙煎によって味わいが変わる。
それまで"甘いお菓子"だったチョコレートが、 土地の記憶、文化の積み重ね、人の手仕事が重なり合った存在として、
少しずつ見えるようになっていきました。
カカオは私にとって、 何かを変えるためのものというよりも、 自分自身を知るための存在なのかもしれません。
知らなかった香りに出会うこと。 新しい人と出会うこと。 これまで気づかなかった自分の感覚に気づくこと。
カカオを通してそうした体験を重ねるうちに、 自分自身の新しい一面を知っていく。
そしてその過程で得た感覚を、 誰かと分かち合いたいと思うようになりました。

この感覚の根には、幼い頃から続けてきた茶道があります。
小学一年生の頃から、祖母に教わりました。 一切の妥協を許さない、厳しい指導でしたが、 その中で、所作と間、空気感、そして「もてなし」の意味を学びました。
当時は理解できなかったことが、 今になって、少しずつ身体の奥から分かるようになってきています。
目に見えないものを感じること。 一つの動作や空間の中に意味を見出すこと。
そうした日本の美意識が、 カカオごとで届けたい体験と、深くつながっています。
一方で、カカオの奥深さに向き合うほど、 伝えることの難しさも感じています。
深く知れば知るほど言葉はマニアックになり、 初めて触れる方との距離が生まれてしまうこともある。
ビジネスとして考えれば、 もっと分かりやすくするべきなのかもしれません。
それでも、この姿勢は変えたくないと思っています。
カカオの持つ複雑さや多様性、 その奥にある文化や背景—— それらを削ぎ落とすのではなく、そのままの形で届けたい。
その覚悟があるからこそ、 こう言い切ることができます。
知識は必要ありません。 「なんとなく気になった」、それだけで十分です。
カカオごとの体験をお届けすると、 反応は大きくふたつに分かれます。
驚き、面白いと感じてくれる方と、 何が起きているのか分からず、戸惑う方と。
その違いは、知識の差ではないと感じています。
ただ、まだその感覚が眠っているだけ。 あるいは、そういう体験と出会う機会が、 これまでなかっただけなのかもしれません。
カカオごとは、その眠っている感覚を、 一緒に起こしていく場所でありたいと思っています。
目に見えないものを想像すること。 まだ知らないものに対して興味を持つこと。
そうした感覚は、誰の中にも、きっとあります。

カカオごとでは、カカオ100%のチョコレートにお湯を注ぎ、 抹茶のように茶筅で点てた一杯をお届けしています。
茶事の流れを大切にしながら、 器を選び、香りを感じ、産地の話に耳を傾ける。
ただそれだけの時間なのに、 思いのほか、自分の内側に届いてくるものがある。
香りを感じ、違いを楽しみ、 その背景にあるストーリーに触れる。
カカオという素材を通して、 人や文化、そして自分自身と向き合う時間。
特別な知識も、構えた気持ちも、いりません。
はじめてで構いません。 なんとなくで構いません。
一杯のカカオから、始めてみてください。

まだ眠っている感覚や、 自分でも気づいていなかった興味が、 カカオを通して少しでも引き出される。
そんなきっかけに、なれたら嬉しいと思っています。
そしてその時間が、 カカオと静かに向き合うひとときとして、 誰かの中に残っていくことを願っています。